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MX-XE901 パナソニックミキサー

 

ジェラート屋に限らず機械のお世話にならない職業は少ない。  30代から大手ファミレスの厨房メンテナンスを生業として静岡県内から時には中京、阪神まで店舗内の一式をメンテして廻っていた。渋谷の小さなインテリアデザイン事務所に飛び込み入社し当時のナショナルさんやエスビー食品、東京電力等のショールームや晴海展示会場、デパートの商品ディスプレーのプランから設置まで楽しい仕事に明け暮れていた。仕事は楽しかったけれど、いずれ老いた両親の世話をする事が必須だったので郷里に戻る決心をしていた。  施工現場で監督しながら電気、大工、表具、塗装、水道、看板などに携わる職人さん達にかわいがってもらい、見よう見まねで施工の手伝いをし、帰郷するにあたり全国展開のファミレスのメンテナンスの仕事を紹介してもらった。当初は扉やヒンジ、壁紙、カーペット、駐車場のブロックやレンガなどの建設物件の修理で廻っていたが、店では電子レンジやエアコン、洗浄機、ガス機器などの料理提供に支障が出る機器の修理が優先され、壁紙が破れたり、レンガが崩れていても緊急性のない仕事は後回しで良かった。ご飯が炊けない、料理が提供できない、食器が洗えない、食材が腐る等キッチンで働く人たちの「困った」を解消してあげるのが求められた。  メンテナンスマンには部門があって厨房設備のメンテを建設部は手出しができない。都市では助け合える仲間が近距離に居て、部品がなかったり人手が足りなくても協力して急場をしのげるが、横に長い静岡ではそうはいかない。正月やゴーデルンウィークともなれば、浜松から伊豆大仁まで大渋滞の中を移動するだけでも大変なことだ。資格や専門知識もないが必要に迫られ、小さな修理を学習していった。まだPCも携帯電話も、ましてやスマホなどない時代、ポケットベルと公衆電話頼りに西へ東へ。大変な苦労だったが、店で喜ばれるのが何よりのエネルギーだった。最初はそれは出来ません、これも出来ません、ミスも多かったが徐々に信用を得られるようになった。  365日、24時間飛び回る社名を「げんき」としたのもこの時だった。一時期お世話になった炭焼きハンバーグチェーン本部に電話すると「さわやかで~す」と爽やかな返事が返ってくる。とても感銘を受け、社長さんに許しを得てうちは「げんきで~す」になった。 


父の思惑 陰謀にまんまとはまって、茶業の手伝い、客寄せのための抹茶アイスに染められ、メンテ業は解散せざるを得なくなった。もうじき30年。でも時折、機器の分解修理を楽しんでいる。

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