top of page

2024年の夏来る



 雨の7月苦い思い出がよみがえることがある。かれこれ45年も前の思い出。東京府中駅 大國魂神社近くのスーパー鮮魚売り場でバイトをしていた。高校生の同僚は寝ても覚めてもバイクの話ばかり。それに影響されてバイクの免許にチャレンジしてみる。

 バイト代を貯めてケヤキ通りのショップでヤマハDT125を購入。最初は怖々だった。いつの間にか国立の学校、上野の都立美術館へバイトに。休日には奥多摩の山々を訪ねた。林道にバイクを置いて雲取山、鷲ノ巣、御岳、三頭山へと楽しい一人ハイキング。就職して初台のデザイン事務所にも満員電車を避けてR20をかっ飛ばした。学生時代、帰省も彼のお世話になったっけ。


 とある夏休み中元配達のバイトにチャレンジした。前と後ろにサイドバックを括り付け、大きなリュックを背負い、もうこれ以上積むのは無理ですという状態まで載せてミズスマシのように走りまくる。軽自動車にたっぷり効率よく積んで廻るベテランが羨ましかったよ。一度に積める量は限られて何往復もしないと点数が稼げない。雨が降ればカッパを脱いで荷物に掛け、雨から荷物を守らなくてはいけない。新人バイトは廻る地域が数日で変更されてせっかく覚えた道も建物も全てご破算にさせられてしまう。順序良く積まないと効率よく回れないから、翌日の準備も並大抵ではない。意地悪されているのか、からかわれているのか、いいように扱われていた。

 携帯もスマホもないアナログな知識と体力だけが頼りの時代だった。


 中元シーズンも終わり給料日。試算した給料は苦労した甲斐があったと思わせるに十分なはずだった。給料袋を開けて愕然とした。試算の6割にも満たない数字。おいおいおい!なぜこんな金額??何をどれだけいつ運んだという記録が残らない働き方だった。世間を良い人ばかりのやりがいのある社会と勘違いしていた。誰に文句を言うでもなく愕然としたままアクセルを回した。帰り路ネズミ捕りに掛かって、大切なバイト代が泡と消えた。むなしく悲しい夏だった。


 けれどエレベーターのない車返し団地4fまで重いキッコーマンを走って届けた時、冷たい麦茶を振る舞ってくれた有難さは忘れない。炎天下、道に迷った時、親切に案内してくれたご老人に感謝。宅急便のドライバーさんに心からありがとうが言える自分を育ててくれたことに感謝。かわいいDT125に感謝。

Comments


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page