自分の立ち位置を再確認する
秋祭りも終わってこの地域は茶の花の咲く季節となりました
68年生きてきて初めて死を意識できた貴重な年となりました。唯々、がむしゃらに選んだ仕事に没頭しお客の喜ぶ顔をエネルギーに変えてここまで来ましたが、それにも限界があることを悟りました。
色々な選択肢がありましたが、何故かここに立たせてもらっている事を僕は幸運と感じます。あれやこれや様々な経験がすべて今に繋がっている不思議を人は「必然」と呼ぶのでしょう。
世の中が激変し、価値観も多様化し選択肢も多岐に渡る中、自分の選んだ道がはたして正しかったのか正誤の判定は付けられないけれど、今更後悔してみても軌道修正してみてもどうにもならないところに来ていることは確かでしょう。
近年、学校の授業の一環で質問される機会に恵まれ、回答説明するのにそれぞれの年代に合わせ解答用紙を用意するのですが、なるべく誤解のないように解りやすいように言葉を選ぶ作業が、自身にとっても大変貴重でした。渦中にあっては考えを整理する余裕もなく、溺れないように必死で水面に顔を出し息するのがやっとでした。妻や両親はもとより、多くの人の力を借りて今ここで幸せを感じていられることに感謝です。 一番の確信は、立派な経営者でなく不安定で厳しいけれど、愉しい職人でいることを選択したことが、小さいけれど幸福感を増幅させたという事でしょう。人には向き不向きがあり、才能や能力、器の大きさも様々です。若い頃は自分をどうしても過大評価し、夢を膨らませやってやれないことはないと信じていましたが、挫折の繰り返しで、気が付けば70歳は目の前で、やっとそのことに気づかされました。愉しいお客に囲まれ、好きな絵を描き、歌を唄って暮らすような豊かな生活を送れることは 金銭的な裕福とも、名誉な地位とも程遠いけれど職人だけが味わえる醍醐味だと思えるのです。
がむしゃらモードからゆったりモードにシフトチェンジし、見た目の派手さはないし、普通に美味しいだけと評論家様に揶揄されようが、「普通に美味しい」のどこが悪いと開き直ってコツコツやりますのでご理解いただける方 応援お願いいたします。
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